宮本 百合子

滞在中に西欧旅行など経たのち1930(昭和5)年11月帰国。翌年中条から宮本へ改姓。1933年12月スパイ容疑により顕治検挙。1945年10月顕治釈放。1924年離婚。作家。 12月帰国。日本女子大学英文科中退。旧姓は中条、本名はユリ。1927年12月湯浅とともにソ連に外遊。1918年父精一郎と渡米。 翌年コロンビア大学聴講生となるが、ニューヨークで古代東洋語の研究者荒木茂と知りあい結婚。翌月日本プロレタリア作家同盟に加入。夫とかわした書簡はのちに「十二年の手紙」として刊行。戦後も社会運動・執筆活動へ精力的に取り組み多くの作品を残した。この間「伸子」執筆に専念。 1932年2月宮本顕治と結婚。東京生まれ。1916(大正5)年(17歳)坪内逍遙の紹介で中条百合子「貧しき人々の群」を「中央公論」に発表。敗戦までの厳しい期間のなか百合子も投獄・執筆禁止などをくりかえしながら作家活動に励む。以後ロシア文学者湯浅芳子と同居生活に入る。
