生活気分

その上どんな人間でも、四十歳五十歳の年になれば、おのずから相当の蓄財と社会的地位が出来て来るので、一層心に余裕ができ、ゆったりした気持ちで生を楽しむことができるのである。
 僕も五十歳になってから、初めてそういう寛達の気持ちを経験した。何よりも気楽なことは、青年時代のように、性慾が強烈でなくなったことである。青年時代の僕は、それの焦熱地獄のベットの上で、終日反転悶々して苦しんだが、今ではもうそんな恐ろしい地獄もない。むしろ性慾を一つの生活気分として、客観的にエンジョイすることの興味を知った。昔の僕には、茶亭に芸者遊びをする中年者の気持ちが、どうしても不思議でわからなかった。しかし今では、女を呼んで酌(しゃく)をさしたり、無駄話をしたり、三味線を弾(ひ)かせたりしながら、そのいわゆる「座敷」の情調気分を味(あじわ)いつつ、静かに酒を飲んで楽しむ人々の心理が、漸くはっきり解って来た。つまりこうした中年者らは、享楽の対象を直接の性的慾求に置くのではなく、むしろその性的なものを基調として、一種の客観的な雰囲気(ふんいき)を構成する事で、気分的に充分エンジョイしているのである。灼(や)きつくような情慾に飢えていた青年時代に、こうした雰囲気的享楽の茶屋遊びが、無意味に思われたのは当然だった。


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